東海道五十三次“濱松・冬枯ノ図”のほうき再現プロジェクト

第一話 はじまり

[ ブログ ]  2015/05/01

歌川広重が東海道五十三次を描いたのは1833年、江戸時代の天保4年と言われています。わずか30数年後には明治維新を迎えることになるわけですが、江戸時代の、しかもここ浜松のほうきを再現する・・・聞いただけでもなかなか面白そうです。

まずはこのほうきが何から作られているのかを調べる必要があります。お母さんが持っている柄(え)はどう見ても竹のようなので、ここはあっさりクリア。問題は穂です。見事に見えません。

 

東海道五十三次“濱松・冬枯ノ図”のほうき

ここ浜松は、「遠州のからっ風」が有名な風の強い地域。

この風に運ばれた砂や落ち葉を掃いているのではないでしょうか。

 

「穂が一本でも見えれば、そこから多少は推測できるんですけどね。」
「それに、穂の結束方法も知りたいな。せめて柄と穂がつながっているところだけでも見えればいいんだけどなぁ。」
※結束方法:穂を束ねる方法のこと。結束の仕方で箒の形状が大きく異なることになる。
「それにしても見事に隠していますよね、穂先を。ひょっとして・・これって、我々に対する広重の挑戦状じゃないんですか?作れるものなら作ってみろ!って言っているように思えます。」
Y

「・・・・・・・」

 

「とりあえず、冷静に。」

「私、この会議に先立って、浜松市博物館に行って箒のことを調べてきたんですが、全くダメでした。あっさりと箒を集めた資料はないと言われました。」
「そりゃ、そうだろうな。せめて遠州地方の生活様式ぐらいに広げないとなかなか資料はないと思うよ。それでも資料が残っているかどうかは疑わしいけど。」
※遠州地方:浜松・磐田・袋井等を含めた地域を指す。


予想した通り、浜松市の図書館、資料館で、江戸時代の箒を調査してもなかなか見当たらず、180年余りの時間の重さというものを改めて認識させられます。しょっぱなから大きく躓いてしまいました。

(ここで、変わり身が早い我々はあっさり方向転換。必要以上にへこまない。これも我々の持ち味です。)

 

Y 「このままじゃ、簡単に暗礁に乗り上げそうだから、浜松の資料集めは、それはそれで続けるとして、別の観点から探ってみようと思うけど、どうかな?」
Y 「要は、江戸時代に流通していた箒からまずは当たってみようと思う。つまり、浜松に限定しないで。何か資料が残るということは、逆に言うと目新しい、もしくは特産だったから・・・、つまり、ニュース性があるからだと思う。これだけ探して無いということは、箒の形状や材質にそれほどの特長がなかったことも考えられるしね。」


箒の歴史は意外に古く、古事記にもその記載があります。当初は祭祀に用いられていたようです。その後時代が下り、室町時代には“箒売り”が登場しており、この頃には箒がお掃除道具として使われていたことがうかがえます。

 

七十一番職人歌合

「七十一番職人歌合【1500年(明応9年)末ごろ】」の「二十一番」。左が箒売り。

※写真は国立国会図書館ウェブサイトから転載しています。


さてさて、江戸時代、しかも江戸後半の箒の原料としてシュロ、ホウキモロコシ(いわゆる座敷箒に使われている箒草のこと)、竹、わら、それにイグサが記録に残っています。現代に流通している箒の内、化繊箒(プラスティックが原料)は当然×。シダ箒も日本に入ってきたのが明治末から大正時代という記録が残っているので、これも×。黒シダ箒は戦後、アズマ工業が日本で初めて発売したという記録があるから、これまた×。

シュロほうき・ほうきもろこし(箒草)

日本の伝統箒と言えばこの2つ。左写真の『シュロほうき』は室町時代から、

右写真の「ホウキモロコシ(箒草)」は江戸時代から使われていたようです。

 

写真左から「化繊箒」「シダ箒」「黒シダ箒」

写真左から「化繊箒」「シダ箒」「黒シダ箒」

この3つは、外を掃く箒として現代では主流の素材。

明治以降に海外から入ってきた素材や技術なので、今回は候補から外します。

 

K 「ワラやイグサからも箒が作られていたんですね。今では全く見ないからびっくりしました。」
Y 「昔(戦前以前を指す)は、各農家の方がそれぞれ箒を作ったりもしていたからね。それに今のように繊細な箒ばかりでなく、要は掃ければいいという仕様のものが多かったと思う。例えば、イグサの箒などはイグサの産地独特のもので、イグサを丸太状に束ねて、「はい、完成」って感じかな。でもそれはそれで生活の 知恵だと思うよ。」
K 「なるほど、じゃワラも同じですね。お米を収穫した後、蓑(みの)やワラジを編むのと同じように作られていたんですね。」
Y

「そうだね。でもイグサとワラは広重が描いた箒から外してもいいと思う。」

「やわらかい草だし、コシがあまりないからね。赤ん坊をオブって外で掃くような代物ではないと思うよ。」

K 「そっか。それもそうですね。じゃこれで、シュロ、ホウキモロコシ、竹に絞られたわけですね。」
Y 「そうだね。でもここからが問題だね。考えようによってはこの3つはどれも可能性があると思う。」
K 「そうですね。・・・それでも一番可能性がないのはやっぱりシュロですか?」
Y 「・・・そうだね。シュロは関西の紀伊半島が主な産地だけど、どちらかというと関西より西に多く生育していて、流通もやっぱり西方面が多かったようだからね。」
K 「それじゃ、ホウキモロコシと竹に・・・」
Y

「ただ、紀伊半島から江戸にも送られていたようなんだ。もっとも箒としてではなく、原料としてだけど。シュロは元々、網や縄の方がニーズが高かったから、相当の量だと思うよ。」

「江戸にいた箒職人がそれを原料として箒を作っていたんだね。」

K 「そうなんですか?簡単には絞らせてくれませんね。・・・でも、シュロにしても、ホウキモロコシにしても屋内の箒ですよね。どう見ても外を掃いているので、シンプルに考えて、やっぱり竹箒じゃないですか?」
Y 「屋内と屋外とか、最初から使い分けているのはごく最近(戦後)。もちろん、竹箒そのものは外ほうきだけだけど。つまり・・・、江戸が循環型社会だったということ、聞いたことがある?」
K 「捨てるものがあまりないという話ですか?」
Y 「そう、例えば一枚の浴衣が寝間着になり、おしめになり、雑巾になり、・・・そして風呂釜で燃やして一生を終える。しかもその灰は肥料として使われる。」
K 「すごい。究極のエコですね。そっか、だから屋内の箒もそれがヘタって来れば、屋外で使われる可能性があるわけですよね。」
Y 「うん、実際にそうだったらしい。」
Y 「それじゃ、やっぱり3つを候補として進めていかなければなりませんね。」

 

十分に絞り切れないものの、可能性の高い方から順番に並べると、竹→ホウキモロコシ→シュロとなりそうです。シュロは結束方法にもよりますが、 他の原料に比べコシが若干弱い点があります。いずれにせよ、竹、ホウキモロコシに主眼を置きつつ、シュロの可能性も否定しないという立ち位置で進めていきたいと思います。

 

シュロ箒 皮

↑シュロ箒 皮

 

シュロ箒 鬼毛

↑シュロ箒 鬼毛

 

これが、シュロの木の皮を原料にしたシュロ箒。採集した当初のシュロは、繊維と繊維が絡み合って1枚のシート状になっています。このシートをクルクルと巻き、先端部分のみほぐしているものが「皮」。シート状のシュロをほぐし、1本の繊維にしてから結束しているのが鬼毛。コシの強さは「皮>鬼毛」で、鬼毛はまるで筆の様に滑らかです。当時、シュロは生活雑貨全般で使われる流通した素材だったとか。今は、シュロ箒というと高級品のイメージですが、当時は手に取りやすい商品だったのではないでしょうか。


まだまだ長い道のりがありそうです。東海道五十三次・・・、江戸の日本橋から京都までの約500kmを 、広重は2週間で歩いたと言われています。我々は出発地点の日本橋にすらまだ着かない状況ですが、続きは次回に。

 

日本橋から京都まで東海道五十三次

(C)OpenStreetMap

 

次回予告「浜松でほうき草作り!」

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