東海道五十三次“濱松・冬枯ノ図”のほうき再現プロジェクト

第四話 ほうき草の種を入手できるか?

[ ブログ ]  2015/06/05

歌川広重が東海道五十三次を描いたのは1833年、江戸時代の天保4年と言われています。わずか30数年後には明治維新を迎えることになるわけですが、江戸時代の、しかもここ浜松のほうきを再現する・・聞いただけでもなかなか面白そうです。

前回、JAさんとの話し合いで課題はあるものの、畑の確保とほうき草の栽培に対して前向きなお話を頂きましたが、種を入手しなければ元も子もありません。実は様々な調査と並行しほうき草の種の入手について、いろいろなルートを通じ調査していました。というのも、タイで生産している種であれば当然入手可能ですが、それを日本に輸入するためには様々な手続きが必要ですし、起源は日本の種とはいえ、タイ産のほうき草の種となると、今回のプロジェクトの趣旨からは若干はずれてしまいます。やはり日本産の種にこだわりたい! 果たしてほうき草の種は見つかるのでしょうか?
 

「アズマに日本産の種が残っていないか探してみましたが、やっぱりダメでした。OBの皆さんにも電話してみましたが同じく・・」
「そうっか。まぁでもアズマに種が残っていたとしても、多分もう使えないと思うよ。古い種が発芽したとしても、固い穂しか取れなくて使い物にならないって聞いたことがあるから。」
「そうなんですか・・」
「知り合いの種屋さんにも連絡してみたけれど、ほうき草の種は流通していないようだね。聞いたことがないって。念のためにもっと探すようにお願いはしてみたけれど・・」
「インターネットでも色々と調べてみましたが、種そのものの入手ルートがよく見えませんね。」


想像以上にほうき草の種を入手することは難しく四苦八苦。と言ってもあきらめるわけにはいかないので、さらにインターネットや知り合いへ調査してみることに。調べる過程でわかったことは、やはりほうき草の種そのものがほとんど流通していないこと。流通していたとしても、ごく限られた地域にのみ流通していると思われること。ただ、インターネットを見る限り、箒職人の方が今なお健在なことから、箒職人の方がいらっしゃる地域に絞って、知り合いの種屋さんに再度種探しをお願いしました。

(一方、種の入手に素人の我々はまたもやあっさりと方向転換。何度も言いますが、必要以上にへこまない。これは我々の立派な持ち味です。)
 

「インターネットで見る限り、今なお箒職人の方がいらっしゃるのが、岩手、栃木、茨城、千葉、東京、神奈川ですね。」
「それ以外の地域にもいらっしゃるとは思うけど、なかなかヒットしないね。」
「そうですね。でもここまで挙げられたんで、ここからもう少し捜査していけば、手掛かりが見つかるかもしれませんよ。」
「・・・相変わらず、口調が刑事だね。まぁいいや。問題はどの方向で調べていくかだね。」
「ほうき草の種を栽培している方を見つけるんじゃなくて、いっそのこと、箒職人さんに種を分けてもらったらどうでしょうか?」
「インターネットを見る限り、特定の農家の方に作ってもらっているか、もしくは自分で作っているということが書かれていました。自分で作っている箒職人の方なら、きっと種を持っていそうな気がします。」
「確かにね・・、それで行くか、当たって砕けろってやつだな。」
「どの地域に当たりましょうか?各地域でほうき草も特徴があるようで、岩手のほうき草はちぢれが特徴って書かれていて、面白そうだなぁと・・。」
「そうだね、土や気候によって、ほうき草は変わるからね。・・・うーんそうだね、できる限り広重が描いた可能性が高いほうき草を目指したい・・・それがわかれば・・うーん・・・。」
「でも、やっぱり栃木だね。栃木の鹿沼(かぬま)、都賀(つが)地方は昔からほうき草の名産地で、かなり手広く栽培されていたから、きっと今でもほうき草を栽培している方もいらっしゃると思うし、箒職人の方も多いと思うから。」


栃木県鹿沼市でのほうき草栽培の歴史は古く、江戸時代天保12年(1841年)から栽培が始まっています。水はけがよい鹿沼土としても有名で、昔からほうき草に限らず、様々なものが栽培されています。また、日光東照宮で有名な日光市が隣に位置し、宮大工を始め、木工がさかんな地域でもあります。

栃木県鹿沼市でのほうき草栽培の歴史は古く、江戸時代天保12年から栽培が始まっています。

昔からほうき草の名産地として有名な栃木県鹿沼市

 

かぬまブランド推進協議会の紹介を経て、かぬまブランドのホームページに箒職人として紹介されていた丸山早苗さんに電話したのは2015年1月26日。
 

「突然申し訳ございません。先ほど、かぬまブランド推進協議会様よりご紹介をいただいたアズマ工業のYと申します。」
丸山様 「あっ、お電話ありがとうございます。丸山と申します。」


突然の電話であったにもかかわらず、とても親切な応対をしていただきました。企画趣旨の説明をした後に、ほうき草の種についてお聞きしたところ・・
 

丸山様 「今、ほうき草を栽培する方がとても少なく、なかなか鹿沼のほうき草の種を入手することが難しいと思います。私もいろんな方のご厚意で、なんとか必要な分だけを確保していますので。」
「鹿沼でもそうなんですか・・」
丸山様 「はい。ほうき草は種まきから収穫まで、すべて手作業になりますから・・・・なかなか大変な作業ですので・・・」
丸山様 「ただ、宇都宮大学の学生さんが鹿沼のほうき草を復活しようということで、取り組まれています。今は数が限られているので、分けてもらえないかもしれませんが、数年後であれば・・ひょっとしたら、分けてもらえるかもしれません。」
「数年後ですか・・・。」
丸山様 「先日も、直々にお願いに伺った方がいらっしゃいましたが、やはり難しかったようです。」
「そうですか・・。他にどなたか・・ほうき草の種をお持ちの方をご存じないでしょうか?」


(あっさりしているように見えますが、実は丸山様が困るくらいに粘りました・・丸山様、申し訳ございませんでした。)
 

丸山様 「鹿沼のほうき草の種でなければ、ひょっとしたら・・元は鹿沼が起源であると聞いたことがありますが、都賀に荒木時三(あらきときぞう)さんという方がいらっしゃいます。私もお世話になった方ですが、ひょっとしたらお持ちかもしれません。」
「都賀(つが)?ですか・・」
丸山様 「はい。鹿沼市よりも南部に位置しますが、そこもかつてはほうき草の栽培が盛んに行われていました。箒職人として荒木さんは有名な方なので、ホームページとかで調べていただければすぐにわかるかと思います。」
「ありがとうございます。早速調べた上で電話してみます。」


少し、光明が差してきたようです・・・・

鹿沼のほうき草の特徴はやわらかくて丈夫であること。そのために幾多の品種改良を行ったそうです。それが戦後、電気掃除機の登場により一気に衰退し、現在ではその継承すら危ぶまれているとのこと。その伝統を守るために、丸山様を始め、たくさんの方が取り組まれていることを今回初めて知りました。

一方、荒木時三様をホームページで調べたところ、60年以上箒職人をしている方であり、年齢83歳(2014年6月14日時点)で現役のご様子。荒木様に電話したところ、ご息女が出られて、趣旨をまとめてFAXしてほしいとのお話がありました。その内容を見て考えていただけることに。

3月に入り、JA青年部さんとの話し合いが迫った上旬、再度お電話したところ・・・
 

荒木様 「先日は丁寧なFAXを頂戴し、ありがとうございました。今、父がちょっと都合が悪くてお話しできないのですが、種については大丈夫です。たくさんというわけにはいきませんが、少しでいいのであればお分け致します。」
「ありがとうございます!!」


こうしてようやく種を入手。いい時は重なるもので、この電話と前後するように知り合いの種屋さんから電話があり、岩手産のホウキモロコシと長野産のタカキビを入手できたとのこと。
ここにきて、一気に加速し始めましたが、時間となりましたので続きは次回に。東海道五十三次、気付けばあっという間に品川を超えていたというところでしょうか?